あたらしいもの

先日、真夏日、友人の協力を得、あたらしいものに挑戦した。

まだ形になっていないのだけれども、久々にわくわくしたし感動した。

 

最近のわたしは何だか前にも増して空っぽな感じで、その日よかったことがいくらあっても、たったひとつの苦手なことやたった一瞬の嫌なことでぶわっと心を埋め尽くされて簡単にマイナスの方へマイナスの方へと思考が駆けていってしまう。

しあわせだけを数えて生きていけたらどんなにすばらしいだろうと思う。

 

どうして嫌なひとと仲良くしなければならないんだろう。どうして限りある時間の中で興味のない人、自分を豊かにしてくれない人と無駄につながっていかねばならないのだろう。自分のことしか話さないわけのわからない新しい知人などいらない。

そういうことに日々疲弊している。

 

極力興味のないひとや一緒にいると苛々してしまうひとには近づきたくない。一分でも一秒でも一緒にいたくない。話したくなんてない。自分が展示をしていても人の展示を見に行ってもそういう望まない出会いが多すぎてとても疲れる。嫌なものは嫌だ。わたしの時間なのだから嫌な物は少なく少なくしていきたい。魅力のあるものだけ摂取したいといつも思う。

 

もっと楽に呼吸できる場所にいきたい。あたらしいもの、ちゃんと武器にして違う場所に繰り出したい。いろいろうんざりなのである。

 

あたらしいものをつくってわたしもあたらしくなりたい。余分なものを見なくてすむ、すばらしい時間がいっぱいの場所にたちたい。

すべての出会いに感謝できるようになりたい。

そんなむちゃくちゃなことを切望する。強くならなくては。